人と人の間をつなぐもの

先日「戦争を教えてください」というテレビ番組を一部だけですが見ました。
イェリン・セイラさんという東京外語大の女子学生のお話。
彼女の父はアメリカ人、母は日本人です。

彼女はアメリカ軍による日本空襲のことを調べていました。
父方の祖父は第二次世界大戦の戦闘機パイロット。
彼女は当時のことを聞くため祖父に会いに行きます。

祖父は真珠湾攻撃を聞いて強い怒りを感じ、軍隊に入りました。
無差別機銃攻撃なども行ったといいます。

セイラさんは祖父に、そのとき日本人のことをどう思っていたか尋ねます。
祖父は、「何とも思わなかった。日本人を人間と思ったことはない。漫画に出てくる眼鏡をかけたあれ。人を殺していると思ったら、戦争はできない。」と当然のように正直に答える。
セイラさんはその答えに耐えられず、隣の部屋に行ってしまいました。
祖父は彼女を慰めに行きます。

彼女の祖父は普通の一般市民です。
この時まで、セイラさんにとってはよきおじいちゃんだったかもしれません。
しかし、過去には彼女にとって聞くに堪えないことをやっていた人だった。
彼女は戦争体験によって祖父が心に傷を残していることも知ります。

この話で印象に残ったのは、祖父の言った「漫画に出てくる眼鏡をかけたあれ」です。

おそらくこのような絵だと思います。
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当時(今でも)のアメリカでは、日本人といえばこのようなメガネをかけたブタ鼻、出っ歯の男がイメージされました。
そして、殺しても構わないと思うように、ネズミレベルまで人格が落とされた。
人種の非人格化、つまり人種差別です。
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このようなイメージが、大量に新聞や街角のポスター、子供向けのアニメで市民にさらされると、日本人憎しという感情と重なって、奴らは人間じゃない、殺されて当然という意識を持つようになる。
何の罪もない日系アメリカ人まで苦しむことになった。
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これは当時の日本でも同じ。
鬼畜米英。米英人は鬼畜と同じで人間じゃないから殺しても平気という感情を持つようになる。

このような人種差別的な風刺画を批難するブログに書かれていたことばは示唆的です。

Rather than in World War I where the Germans were seen as innocent, but lead by an evil ruler, Hitler, the Japanese were all equally seen as evil, from the common citizen to the emperor.
アメリカ人は、悪者はヒトラーであって一般ドイツ人に罪はないと考える一方、天皇裕仁とすべての一般日本人は等しく悪と考えた。

当時のアメリカ人は、戦争を仕掛けた日本の統治者だけを悪と考えず、日本人全体が悪なのだと考えるように誘導されていたようです。
セイラさんの祖父が、一般市民である日本人をムスタングから機銃掃射しても何とも思わないことはアメリカ社会で当然だったのです。
相手は悪だから殺してもよい。
そんな考えの究極が、広島、長崎の原爆投下だった。
悪のネズミどもを一掃してしまえという考えです。
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最近の日本でもそのような人種差別的な考えが広がりつつあります。
中国人、韓国人、北朝鮮人、すべて同じ人格を持った人たちと考える。
このような考えの背景には、人と人の間をつなぐものが何もないことが考えられます。

ちっぽけな情報端末から様々な情報を瞬時に得られる時代ですが、わたしたちは適切に選択する術を持たない。
偏った情報ばかりが強調され、それを選択してしまう。
人に接触することなく、その人を知った気になる。
挙げ句の果てには、その人の属する集団や組織、コミュニティをすべて同じ色眼鏡で見てしまう。
日本のあちこちで、見受けられる現象です。

人と人の間に何もないと、相手を非人格化しやすくなる。
ものと同じになる。

自らの手足と頭を動かして、人と人の間をこころでつなぐ努力をするセイラさん。
アメリカ人の祖父は日米の血を持つ孫によって70年後に救われた。

唯一このような努力によってしか、平和は得られないことを示しています。

人と人の間をつなぐもの」への1件のフィードバック

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