選抜高校野球に出場する高校球児たちに「一回戦負けしろ」と言ったとされる滋賀県議会議員。
その記者会見内容は極めて幼稚かつ傲慢なものでした。

最近このような発言や態度をする狭量な日本人が多くなったような気がします。

程度が低いとか、すぐに切れると言ってしまえばそれまでですが、そんな人たちをどういう言葉で表現するのが適切なのか考えていたら、「恕」ということがば浮かんできました。
そう、この人たちには「恕」がない。

[恕] 思いやり いつくしみ 許す

論語、衛霊公第十五 23に、

子貢問曰。有一言而可以終身行之者乎。子曰。其恕乎。己所不欲。勿施於人。
子貢が尋ねました。生涯、それを実践するに値する一言というものがあるでしょうか。
孔子は言われた。それは恕だ。自分がして欲しくないことを、人に対して行なってはいけない。

が述べられています。

ただし昨今問題になっている人たちの発言は、自分がして欲しくないことを通り越している。
つまり自分の感情、こころさえ無視しているように思えます。

議員は「なぜって口からでたからです。」と平然と述べています。
こころが感じる前に体(口)が勝手に反応している。

記者会見の内容すべてがそんな感じです。
この人にはまるでこころが感じられない。
恕がない。

恕のない日本人が増殖している。

そんなことを考えながらチャンネルをEテレにすると、古河太四郎について紹介していました。
古河は日本における障害児教育の先駆者。

「教育は恕の一字にあり」
彼の障害児指導書の草稿にあったことばです。
まったくの偶然ですが、「恕」の重みをさらに思い知ることになりました。

孔子に言わせれば、
恕のない人生は生きるに値しない。

こんなことしてたら、三途の川でおぼれてしまうぞ

猫もびっくりぽんや!

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