「上機嫌な言葉366日」から1月の言葉

一月四日
 私は、「よいことばかり あるように日記」というのを作っている。(略)楽しかった旅行やパーティの写真、押花、スケッチ、観劇のチケットなんか貼ってある。<今日、○○さんが、今月号の△△の××はよかったね、とほめてくれた>なんて仕事でうれしい思いをしたこともぬからず、書いてある。

一月六日
なるべく怒らぬよう。
怒ると人生の貯金が減る。

一月八日
 私のつくったモノを、
「美味しい」といってくれれば、
それだけで、探偵小説風にいうと、相手の
「身元が割れた」という感じになり、
いままでの、寄りつきにくい、うさんくさい、よそよそしい感じにはなくなってしまう。

一月十二日
おなか、すく? 食欲ありますか?
それなら大丈夫、人生はこれからです。

一月二十日
 私にいわせれば、人を責めるのは想像力がないからである。
責めるのは何かの確信があるからで、確信と想像力は相反するものである。

一月二十五日
 女が心から(面白いわ。シアワセだわ。楽しいわ)と満足のタメイキをつくとき、その幸福感の余韻は周囲を静かにどよもし、よい薫りをはなち、社会全体に活力をもたらす。
男や子供たちは、女たちに愛されていきいきとよみがえる。
愛と幸福感は照り映えあって、女たちはまた、男や子供に愛されることで充実する。

一月二十七日
食物は、不幸な人がつくると、どこかに激越な、投げやりなものがあらわれて、こまやかな味わいにならない。

一月二十八日
 私は小説の中に、わりにたべるシーンをよく入れるが、これは「ただごと」小説では食事は重要な要素だからである。たべるものは人の心と心をむすびつけ、愛を交わすに大きい力をもつ。

一月三十一日
 よく気をつけて、人と人との間に橋渡しをし、糸をつないでちょうだい。
一つ、また一つ、笑顔の花びらをつないで、首かざりにするために。

「上機嫌な言葉 366日」 田辺聖子

結局、シアワセな人だけが世の中を動かすことができるのだと、おせいさんは言っているように思います。

シアワセになるには、愛とおいしい食事が必要です。

二日のスーパームーン

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