今日は岬町の文化祭。作品展を見てから、のんびり近所を散策しました。
家を出る前に収穫した柿とピーマン。今年は大きな実が2つ。
月別アーカイブ: 2011年10月
海鳥 /李海仁 (イ・ヘイン)
10月下旬になると、20年前に初めて海外旅行をしたときのことを思い出します。
知人と自転車で韓国を旅しました。
成田空港ではのんびりしすぎて出国手続きの呼び出しを受ける始末。さらに自転車工具が検査で引っかかり、ギュウギュウ詰のバッグの底から工具を取り出し、確認を受け、また元に戻すのに時間がかかり、飛行機の出発を遅らせてしまいました。まったく手続きを知らないおのぼりさんだったのです。
韓国では、発展している部分と、日本の昭和30~40年代の雰囲気が同居し、人々はみな親切で、懐かしさと新鮮さに感激しながらの旅でした。
ソウルチョンロ区の喫茶店でひとりギターをつまびいていたミンさん。日本語でいろいろ話をしてくれました。次に会うときはハングルで話をしましょうと約束しましたが、その後韓国を訪れていません。
プヨのひなびた食堂で出会った、江田島生まれのおばあさん。戦争前の17歳の時に、韓国に引き上げ、50年ぶりに日本語を話したと、涙ながらに語ってくれました。青春時代を過ごした江田島が懐かしいとも。
20年もたつと、にわか勉強したハングルをすっかり忘れてしまいました。久々に、当時購入した「韓国現代詩選 茨木のり子訳編」を読んでみました。李海仁(イ・ヘイン)さんという修道女の詩人の詩が載っています。(東方神起の「Pray for god」は彼女の詩だそうです)
その中のひとつを紹介します。
海鳥 /李海仁 (イ・ヘイン)
この地の どこにも
誰にも 心を寄せるすべもなく
海へ来たのか
あまりにも過剰なものを見たくはなくて
聞きたくはなくて
ここまで来たのか
饒舌に
しゃべりちらすのが厭で
ひとりで来たのか
ああ どう説明しよう
誰にもばれず燃えさかる
この小さな胸のなかの火の手
水の上に坐って
静かに冷やしたくて
海へ来たのか
わかめのように新鮮な哀しみ
波濤で洗い洗いしながら生きたくて
海へ来たのか
原文も載せます。
바다새 / 이해인
이 땅의 어느 곳
누구에게도 마음 붙일 수 없어
바다로 온 거야
너무 많은 것 보고 싶지 않아
듣고 싶지 않아
예까지 온 거야
너무 많은 말들을
하고 싶지 않아
혼자서 온 거야
아 어떻게 설명할까
아무에게도 들키지 않은
이 작은 가슴의 불길
물 위에 앉아
조용히 식히고 싶어
바다로 온 거야
미역처럼 싱싱한 슬픔
파도에 씻으며 살고 싶어
바다로 온 거야
にわか勉強のハングルを思い出しながら、辞書を片手に自分でも訳を試みると、面白いことに気づきました。以下は、まったく勝手で稚拙なわたしの解釈です。
「온 거야」という表現は、一般には「来たのか、来ているのか」という疑問文に用いられるようですが、「来たんだよ、来たの、来ているの」と、意志を表すようなときにも用いられるようです。
「来たのか、来ているのか」という表現の場合、題名の「海鳥」にあるように、詩人は海鳥に問いかけていると考えられます。もちろん海鳥に自分を投影しているのですが、距離を置いて客観的に自分を見つめている感じです。求道者である修道女イ・へインさんらしい表現なのかもしれません。
ひっかかるのは、「아 어떻게 설명할까」(ああ どう説明しよう)以下3行の部分。ここで突然生身の自分が出てくる。とすると、「온 거야」は「来たの、来ているの」と訳したほうがしっくり来るような気がします。
もしくは、前半のそこまでは、海鳥(自分)に、おまえは「海へ来たのか、海へ来ているのか」と、問いかけ、「誰にもばれず燃えさかる」と感極まった後は、海鳥と自分が一体化し、(わたしは)「海へ来たの、海へ来ているの」、燃えさかる炎を静かに冷やすために、哀しみを洗い生きるために、と自分の意志をはっきり示すような訳も可能ではないかと思います。
遠から近への展開です。
ところで、この詩の「わかめのように新鮮な哀しみ」は茨木のり子さんの「生牡蠣のような感受性」ということばに通ずるような表現だと思いました。彼女がこの詩を選んだわけが分かるような気がします。
少しだけ秋模様
休日 in Osaka
友人の写真展を見に、大阪にあるオリンパスギャラリーへ行ってまいりました。
久々に会った友人はますます輝いていました。
走ることを通じて、笑顔を人々に広める。ええ仕事してるなぁ。
走ることの好きな方、走ることに興味のある方、走ることに興味のない方も、是非足を運んでみてください。(26日まで、日曜休館です)
“走るマラソンカメラマン” 辰巳 郁雄 写真展 「走った!撮った!世界のマラソン OSAKA」
http://marathoncameraman.blog12.fc2.com/
その後、歩いて中之島へ。 図書館です。
バラ園へ行くと、なんとウグイス発見。(分かります?)こんな都会にもひっそりとおるんやねぇ。
(10/23 追記 寸詰まりなので、ヤブサメかもしれません)
アメリカ総領事館横にあった建物に「たたみ新聞」の看板。たたみの業界紙のようですね。
帰りの地下鉄で、外国人に日本橋へはどう行けばいいのか尋ねられました。JICA大阪の主催する技術研修に来ていたトンガ人とフィジー人の二人です。なんばで降りて、途中まで案内しました。
二人はNGOのメンバーで、町作りについての研修を2カ月受けてきたそうです。東北の被災地へも行き、その様子に非常に心を動かされたと言っていました。国では募金活動もしていて、今後も日本のために役に立ちたいとも。
今日は、出会った風景、自然、そして人々からたくさんパワーをもらいました。
ありがとう!
もの作りの指針
羽田空港からです。出発まで時間があるので、珍しく本職に関する話を少し。
柳宗悦の「工藝文化」は、技術者である、わたしのバイブル。
彼の思想を借りて、もの作りの指針をかつて作ったことがあります。
ここにそれを記します。
「用」と「無事」は製品の本質である。
これは製品が「健全」であることを意味する。
もの作り指針
一.製品の「目的」を明確にする
一.健全な「材料」が製品を選ぶ
一.製品は「技量」と「技術」を必要とする
一.「技量」は熟練、「技術」は理解である
一.労働への「悦び」こそが作るものを美しくする
一.よき労働は「責任」の念を伴う
一.労働は正しい「組織」を必要とする