2013年初釣り

今年初の釣りをしました。
アメリカ出張などで暇があまりなかったのと寒さに負けて竿にまったく触れていませんでした。
今日はまず午前中、加太手前の大川まで行きました。
午後は淡輪ヨットハーバーに移動。

今年初の獲物は小さなメバルでした

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2匹目は20センチのガシラ

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3匹目は23センチのメバル

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4匹目はヨットハーバーで小さなガシラ
今年初釣りの釣果は4匹でした

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明石海峡大橋と船
寒いのですが、何となく春が近付いている感じもします

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タンカーのドームが反転して映っているので、浮いて見えます

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ニノマエさん

先日アメリカ出張したとき、一緒に仕事をしていた台湾出身のエンジニアと話をしていたら、日本人の名前が話題になりました。
一郎は長男、二郎は二男に付ける名前だと説明すると、彼が「一」と書いて「ニノマエ(before two)」と読むのは面白い、まるでパズルだと感激していました。

「何でそんなこと知ってるの?」と聞くと、
「日本のドラマでニノマエという人物が出ていた」という答え。
そのときは、さすが漢字の国出身や、日本人の珍名に興味を持つとは。台湾や中国にはこんなひねった名前はないんかなと思ったのでした。

そして帰国後の今日、たまたまTBSチャンネル1の「一日で全部見せます」で「SPEC~警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿」を全部見てしまい、思い出したのです。
2010年に放送された時、このドラマを見た記憶があるのですが、「一(ニノマエ)」という登場人物のことをすっかり忘れていました。
あいつ、このドラマのこというとったんやなと気付きました。まったくの偶然ですが、不思議なこともあるものです。

また、台湾人の彼がこのドラマを観て登場人物の名前まで覚えているということは、日本のドラマが面白いということであり、台湾向けかアメリカ向けか分かりませんが、放送されているかDVDで販売されているということです。

漫画が世界で受け入れられたのはおそらくそれを翻訳する人の努力があったと思うのですが、日本のドラマや映画、小説なども面白いものがいっぱいあるのにほんの一部しか世界に紹介されていないのはもったいないこと。
谷崎潤一郎がノーベル文学賞の候補に何度も上がりながらとることができなかったのも、翻訳の少なさが影響したと言われています。

日本の芸術作品と日本料理は世界とりわけアジアに対しては親和性が高いのでもっと売り込んでもいいと思った、寒くて一日中家でテレビを見ていた土曜日でした。

クイズ
「一口」さんはどう読むでしょうか。

Rock of Ages

Confide ye in Jehovah for ever; for in Jah, Jehovah, is the rock of ages.
Isaiah 26:4
とこしえに主に身を委ねなさい;主なる神はとこしえの巌なのだから
イザヤ記26章4節

帰国便の中では映画をずっと見続けていました。
映画リストの中に「Rock of Ages」というものがありました。
石器時代かなんかのことかと漠然と考えていたら、それやったらStone ageやし、ちゃうな、何やろと思い、見ることにしました。

それはアメリカのロックミュージカル映画でした。80年代のロックミュージックが使われ、トムクルーズがロックスターとして主演。
題名の意味としては、「ロックよ永遠なれ」。(石器時代とはまったく関係なし)

わたしはロックファンではありませんが、映画の中で歌われた曲は全部馴染み深いものばかり。レコードやCDを持っているわけでもないのに知っていることが意外でした。

これは70年、80年代、ロックミュージックが日常に溢れていたことを意味し、日本の若者が無意識にもロックンロールしていたということの表れだと思います。

最近の音楽事情を全く知らないので、ロックが日本で盛んなのかどうか分かりませんが、アメリカではこのようなロックミュージカルが、しかも「ロックよ永遠なれ」という題名までついて作られているくらいなので、いっそう元気ということの表れなのでしょう。
映画では、周囲の声に惑わされることなく、おのれの夢や信念を貫くロックンロール魂が強調されていました。
アメリカでは、ロックはライフスタイルのひとつになっています。入れ墨入れたヘビメタ好きなエンジニアの兄ちゃんもいますしね。

調べると、Rock of Agesということばは、イザヤ記など聖書から来ていて、神を意味しています。永遠に壊れることのない岩が神の象徴として表わされている。
またこの岩はわれわれの身を守ってくれる避難所、シェルターという意味でも使われています。
このような背景を知ると、この映画の意図するところがより明確になった気がしました。
ロックミュージックは、今日様々なストレスにさらされたり、易(やす)きに流れる心にとって、とこしえの巌であり、守ってくれる砦である。

お前のこころに、何をしたいのか問いかけろ!
ロックはいつまでもお前に付き合うぜ!

今日の日本の若者にとって、何が「Rock of Ages」の代わりになっているのでしょうね。

冬場の鳥たち
葉が落ちて裸になった木々は、鳥を見るには絶好です。
桜の木にいる虫を探すコゲラ

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メジロ

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エナガ

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シジュウカラ

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仲よく向き合うエナガ

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痛みを分かち合う

この1週間、アメリカに出張していました。久々に関空からサンフランシスコに飛んだのですが、UAのサービスはアメリカで最低ランクの評価を受けている通りでした。少しは期待したのですが、4年前とまったく変化なし。残念!

さて、海外を旅するとちょっと煩わしいのがチップ。
現地の人間を見ているとけっこう渋ちんなので、払いすぎかなと思ったりします。
ベッドメイキングのチップを2日に1回にするときもあれば、毎日の時もあったり、まったく忘れていたり、けっこういい加減にやってます。
出張中、このチップのことを考えていたら、20年くらい前にポートランドの客先で一緒に仕事をしたエンジニアを思い出しました。

彼は必ずチップを払う、心からありがとうと思って払うと言っていました。
学生時代、大学の食堂でアルバイトをしながら学位を取った彼は、チップのありがたさが身にしみて分かるからとその理由を話してくれたのでした。

レストランで働いている若者は貧乏学生が多い。
チップは貧しさの痛みを分かち合う手段である。
困っている者がいるときは、困っていない者が助けなければならない。

これもアメリカンスピリットのひとつかなと感じたのでした。

アメリカにはフードバンクという制度があったり、感謝祭やクリスマスに個人が食料品を寄付したりする習慣があり、これらのシーズンが近付くと、会社のロビーなどに大きな入れ物が置いてあって、そこに缶詰などの食料品を入れることができます。

このような「痛みを分かち合う」精神はキリスト教から来ています。

マザーテレサのことば、
痛みを感じるまで愛しなさい
痛みを越えるまで愛しなさい
は、アガペー(犠牲愛)ですが、ここまで究極に来なくても、痛みを分かち合うことが習慣化されていることに社会の健全さを感じます。
一方で、アメリカには様々な歪んだ問題があるのも事実で、結局プラスマイナスゼロなのかもしれません。あまりに振り子が振れ過ぎている社会なのです。

しかし少なくとも、困っている者がいるときは、困っていない者が助けなければならないという精神が学校や家庭で教えられており、多くのこころある人たちが実践していることに感銘を受けます。

以前、鹿児島の郷中教育について書きましたが、
「負けるな」「うそをつくな」「弱いものをいじめるな」
の教育理念にさえ残念ながら「弱いものを助けよ」という表現がありません。(精神としてはあると思うのですが)

一般の学校でも、「弱いものをいじめるな」ということは教えても、「弱きを助け強きを挫く」まで教えることはない。
強きに向かって殺されたり怪我でもしたら、元も子もないというのが、教師や親の考えです。

最近、何にでも「侍」という言葉を付けるのが好きな日本人ですが、「弱きを助け強きを挫く」精神を持たないわれわれ日本人が侍を名乗ることに滑稽ささえ感じます。

「出家は慈悲を表にして、内には飽まで勇気を貯へざれば、仏道を成就すること不成もの也
武士は勇気を表にして、内心には腹の破るる程大慈悲心を持ざれば、家業不立もの也」

葉隠に書かれている湛然和尚のことばは、仏教者と侍のあり様を述べています。
キーワードは「勇気」と「慈悲」。
まさに「弱きを助け強きを挫く」ことではありませんか。

年の初めからテンション上げてどないするねんといわれそうなので、話を元に戻します。
「痛みを分かち合う」精神です。
マザーテレサの「痛みを感じるまで愛しなさい」を実際に実践できるのは求道者だけです。

もっと簡単な方法はないのでしょうか。
それを教えてくれたのが、冒頭述べたエンジニアです。
「痛みを分かち合う」って、実は「喜びを分かち合う」ことじゃないか。

かつてチップをもらって助けてもらった自分はこうやってお金を稼ぐことができるようになり、少しは余裕もできた。今度は自分がささやかな贈り物を届ける番だ。

痛みとなると尻込みしてしまいますが、喜びなら分かち合えば2倍3倍になる。

年取って段々分かってきたことは、楽しいことだけを考えるのが自分も他人も幸せにするということ。
悩みや苦しみ、争いの多い家庭や社会、国に幸せはありません。

だからまず、みんなが能天気で行きましょう!

関空のUA機
伊丹に国際線があれば、日本の航空会社もアメリカ便を飛ばしているかもしれません

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ベイエリアは大阪と同じくらい寒かった
朝、車のフロントガラスに霜がつくくらい。しかもインフルエンザが流行っていました。

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これはちょっと珍しい光景
サンフランシスコ空港は土日に滑走路の補修工事をしているので、滑走路が1本しか使えない。そのためか、着陸の航路が変えられていて、海側から住宅地の真上を飛んで着陸していました。

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なぜベストを尽くさないのか?

放送大学で、瀬戸大橋を保守する技術者に仕事でやってはいけないことは何かを尋ねていました。

「まぁ、いいか」と思うこと
が技術者の答えでした。

人の命を預かる橋。
「まぁ、いいか」で保守をするということは、自分がプロであることを否定することになる。人の命を預かる仕事に対する誇りが語らせたことばだと思います。

松田道雄氏は、保育園(幼稚園?)の先生は将来を担う子どもの教育をしているのだからもっと高い給料をもらってもいいと書いています。(うろ覚え)その代り、その責任も大きいとも。

残念ながらこの世は必ずしも、
報酬=社会に対する責任の重さ
ではありません。

この程度の報酬だから、他人に誉められるわけでも注目されるわけでもないから、「まぁ、いいか」で多くの人は済ませているのかもしれません。

一方で社会に対する責任の重さを知っている人は「まぁ、いいか」で終わらすことがありません、できません。

かれらはありふれた日常に楽園を見つける達人です。

ありふれた日常がいかに危うく繊細でもろいものかを知っている。
そんなありふれた日常が今日も昨日と同じように続いていることに喜びを見つけることができるのです。

人生の楽園には、ありふれた日常に喜びを見つけることのできる感受性の持ち主だけが辿りつけます。

ありふれた日常のためにベストを尽くす。しかもひっそりと。
「渋い」生き方と思いませんか。

「渋い」というのは日本独特の美意識。
120あるものを100しか見せない美しさのこと。
隠れた20は含みで、渋さの分かる者にしか分からない。

ありふれた日常にベスト、尽くしてみません?!
人生の楽園に辿りつけますよ。
渋い人になれますよ。

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