宮城まり子さん

BS1スペシャル「歓(よろこ)びの絵 ねむの木学園 48年の軌跡」を見ました。
宮城まり子さんは現在89歳。

番組では東京で開かれる展覧会の準備の様子も紹介していました。
まり子さんには、これが自分にとって最後になるかもしれないという思いがあります。
病気を患ってからは疲労や老いと闘いながらねむの木学園を経営する日々。
彼女のあとを継ぐことのできる人がまだいないそうです。
彼女にあの溌剌として初々しい明るい笑顔はありませんでした。

ねむの木学園の子供たちが描いた3万点以上におよぶ絵画から300点を選ぶまり子さん。
倉庫に保管されていた絵画が次々と彼女の前に並べられます。
かつてねむの木学園でまり子さんと共に過ごした子供たちの数々の絵画。
どれも素晴らしいものです。
奇跡のように思えました。

意外なことに子供たちが描いた絵画を選ぶ彼女の目はとても険しいものでした。
「あれ、それ」
まり子さんは、並べられた絵の中から次々と選別していきます。

わたしにはそれが「あの子がいい、その子がいい」というように聞こえました。
映像を見ているのが段々辛くなってきました。

子供たちと過ごした思い出を慈しむような、優しい目ではありません。
番組プロデューサーが意図的にそんな映像だけを流したのでしょうか。
展覧会会場で絵画の配置を指示する姿を見てもやはり彼女の表情は険しいものでした。
おそらくあれが彼女の今なのでしょう。

展覧会の会場で、絵画の配置の指示を終えたまり子さんは疲労から床に寝転がります。
スタッフが枕を彼女に差し出したとき、
「いいってば」
と拒みました。
そして
「みずっ!」
とスタッフに水を持ってくるように指示した瞬間、わたしはチャンネルを変えてしまいました。

人の優しさには優しさで応えるのが彼女の信条ではなかったのか。
それが唯一、人のこころを開く術であることをまり子さんは知っていたのではなかったのか。

癌を患い、腰椎を骨折し、車いす生活になった彼女は、自分が支援してきた障碍者の仲間になったとも言えます。
子供たちと同じ状況に自分の身を置くことになったまり子さん。
残念ながらその表情は幸せそうには見えませんでした。

彼女がねむの木学園を通じて成し遂げたすばらしい功績。
理想に燃え、私財を投げ打って障碍者のために身を捧げてきた人生。
「強い意志と尽きることのない優しさを持った女性」という勝手に描いていたイメージと今回の車いす姿とのギャップ。

どうしてこんな険しい顔になったのだろうか。

人は苦しみを持つと現在という桎梏にとらわれてしまう。
楽しかった過去や明るい未来に思いを馳せることができなくなる。
ターミナルケアの専門家である柏木哲夫さんは、
「人生の終末期に、その人の人生そのものが凝縮される。人は生きてきたように死んでいく。」
と述べています。

映像で見た彼女の顔の険しさは、彼女の人生の険しさだったのでしょうか。
だとしたら、障害を持った子供たちの、あの奇跡のような絵の数々はどこから生まれたのでしょうか。

老いることで苦痛と苦悩を抱えていくことは人によくあることです。
しかし、それまでの人生の豊かさからそれらとうまく付き合う術を得て、明るく生活している人がいることも事実です。

わたしには、まり子さんには人生の豊かさがないように見えました。
古語で言うところの「たのし」です。
たのしー
①満ち足りている。おもしろく、うれしい。
②豊かだ。富んでいる。
③頼もしい。

まり子さんにとって、
障碍を持つ子供たちにとって、
そしてそこで働くすべての人たちにとって、
「ねむの木学園」が埴生の宿になることを願っています。

埴生の宿も 我が宿 玉の装ひ 羨まじ
長閑也や 春の空 花はあるじ 鳥は友
おゝ 我が宿よ たのしとも たのもしや

淡輪の秋祭り

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